2002年12月31日  一年を振り返って...
 
 
 今日は大晦日、2002年の最後の日です。今年も色々なことがありました。

個人的に一番大きな出来事は、やはりこのホームページを開いたことですね。

1月5日にオープンして、約1年で延べ23,000人もの方にご訪問頂きました。

ご感想やご意見などのメールもたくさん頂きました。私が撮影した自然風景の

瞬間をたくさんの方に見て頂いたことも嬉しいことですが、なによりこのホーム

ページを通して本当にたくさんの方と出会えたことが一番でしょう。

 これからも Kawasaki Photo Studio をよろしくお願い致します。



 
2002年12月 9日  雪降る夜に...
 
 
 今の時刻は午前1時。私が住んでいる町には雪が降っています。何気なくカーテンを

開けると、目の前の校庭には空から舞い降りた雪がすでにうっすらと積もっていました。

関東地方南部では年内に雪が降ることは滅多にないのに。雪の多い地方の方には失礼な

ことかもしれませんが、なんとなくワクワクします。何故だか雪が降っていることを

誰かに伝えたくて今、雑感を書いています。

「ねえ、今、雪が降ってるよ!」
 
 


2002年12月 2日  ある秋の日の出来事
 
 
 もう木々の葉も残り少なくなり、冬の足音がすぐそこまで聞こえてくる季節になり

ました。少し前のお話しになりますが、11月の初旬に富士山の秋景色を撮るために

大月市の北部にある林道へ3年ぶりに出掛けました。

 午前5時過ぎに林道の入り口に到着したのですが、ゲートが閉まっていて車で入る

ことが出来ません。立て看板によると土砂崩れのために通行止めになったようです。

ここからは車で10分強だったので距離は2,3キロ、歩いたら約30分。撮影開始

時刻まで約1時間あるので歩くことにしました。カメラザックを背負って片手に三脚、

もう片手には懐中電灯。5時半を過ぎた頃から、だんだん空が明るくなり、ところ

どころで木々の間から富士山の雄大な姿が見え始めました。まだ目的地に着かず焦り

出します。

 5時50分、富士の山頂部が赤くなり始めました。撮影地に向けて小走りに。再び

林道から富士の姿を見たときは真っ赤な紅富士と手前のカラマツ林が銅色に輝いて

いました。見たこともない絶景です。撮影したいのですが視界が開けてないために

撮れません。しかし少し先に目的地らしき場所を見つけ、ザックを置き去りにして、

必要なカメラとレンズだけ持ってラストスパート!でもやっぱり違いました、前景の

雑木林がじゃまで撮れません。出来ることは刻々と色を変えていく富士山の姿を指を

くわえて見ているだけでした。そして、あっという間に劇的な富士の光景は終わって

しまいました。こんなに悔しい思いをしたことはありません。帰路の足どりは重く、

失意に溢れていました。が、すぐに気を取り直し、翌日に最チャレンジすることに

決めました。

 さて次の日の午前3時過ぎ、また林道の入り口です。すでに車が1台止まって

いました。少し仮眠をして4時半頃から歩くつもりでしたが、その止まっていた

車のおじさんが「良かったら一緒に行きませんか?」と話しかけてきました。さらに

「多分2時間くらいは歩くことになるから、そろそろ行きましょう!」と。そんなに

遠いはずはないと思ったのですが、昨日のこともあり、また目出し帽を被った上に

懐中電灯を付け、両手に登山用のストックを持つ風貌からの自信たっぷりの発言は

信じざるを得ませんでした。道中は適度に会話も弾み、撮影地を求めて暗闇の林道を

ひたすら歩きました。途中、所々で闇夜に浮かぶ富士山の姿が見えました。気象条件

は昨日とほぼ同じのため、絶景をフィルムに収められそうな期待感と不安感で

いっぱいでした。何度も尾根を回り込み、いつの間にか富士の姿が全く見えなく

なった午前5時頃、約1時間半歩いて思っていたこと。

「もしかしたら、もう通り過ぎたような気がする...」

 その直後、道の脇から「グゥオォオーーー」という低いうなり声とともに草むらが

ザザッという音と小枝が折れるバキバキッという音が猛スピードで近づいて来ました。

「やばい!」暗闇で全く見えないため、身を屈めて音が聞こえる反対側にダッシュで

逃げました。懐中電灯を投げ捨て、何か有った場合に備え両手で三脚を身構えて

間合いを取っていたのですが、ガサッガサッという草を踏みしめる音は遠ざかって

行きました。懐中電灯を照らす余裕もなかったので、一体何だったのかわかりません。

野生の生き物で考えられるのは、リス、タヌキ、イタチ、イノシシ、シカ、サル、

クマくらいでしょうか?その中で低いうなり声を出すのは多分...

 そんな出来事に出会ったこともあり、もう先に行く気にはなれず、戻ることにしま

した。空がうっすらと明るくなり、また気が焦り始めます。戻ること約30分、ついに

目的地を発見しました。明らかに通り過ぎていました。そこは昨日、雑木林がじゃまで

撮れなかった場所。冷静に考えると、訪れなかった3年の間に手前の木々が視界を遮る

くらい大きく生長してしまったようです。近くに1ヶ所だけアングルを工夫すれば

撮れる場所を見つけていたので、やむなくそこで撮影を始めました。しかし残念ながら

絶景にはなりませんでした。意地になって翌週も行ったのですが、あの光景に出会う

ことは出来ませんでした。そして紅葉のシーズンは終わりを告げました。

 いつになるかわかりませんが絶対にあの光景をフィルムに焼き付けることを誓った

ある秋の日の出来事でした。
 
 
  教訓1:初めての、もしくはしばらく行っていない撮影地に行くときは事前に

      情報をしっかり集め、明るいときに一度下見をしましょう!

  教訓2:山道を歩くときは、出来るだけ両手をフリーにして、ザックに鈴を

      付けるか、ラジオを鳴らしながら歩きましょう!




2002年11月19日  ローマ字表記


 最近ちょっと気になることがあります。通勤時に

何気なく目に入ったのですが、右の写真をご覧下さい。

何の変哲も無く感じられる方もいらっしゃるでしょう

が、私はShimbashiの「
」が気になって仕方がない

のです。早速Yahooで「Shimbashi」を検索してみると

数件ヒットしました。中には私のように個人のホーム

ページで疑問に思ったことを書かれている方もいま

したが、そのヒットした中に有力な情報を発見しま

した。

 それは東京都のホームページで同様の質問をした

方に対する回答でした。どうやら鉄道各社は国際化

に対応するために、案内標識は「和英併記」とし、

ヘボン式で表記することになっているそうです。

そのヘボン式では、
はねる音「ん」はnで表すが、

b,m,p の前ではmで表すという決まり
になっており、

@JR新橋駅

AJR新橋駅
新橋[Shimbashi]は、「b」の前の「ん」なので、

「m」で正しいことになるそうです。なるほどヘボン式にそんなルールがあったとは。

 今度はYahooで「ヘボン式」を検索すると「ヘボン式ローマ字一覧表」を発見。

そこには50音表の下に長音・発音・促音のルールが書かれておりました。

これで一件落着です。

 ところが、さらに謎が深まるモノを見つけ

てしまいました。右の写真Bは信号機に付いて

いる道路の案内標識です。これでは「
」に

なっています。また検索した結果、道路標識の

製造や施工をしている企業のホームページに

次のように書かれておりました。

「道路標識は国連条約の趣旨、従来の慣習等


B道路標識
に基づき、固有名詞についてはヘボン式、普通名詞については、英語により表記する

ことになっています。」
と。そして表記例の1つに「はねる音『ん』はnで表す。

日本橋 Nihonbashi」
と有りました。ヘボン式で表記するとありながら、ヘボン式の

ルールに則っていません。わざわざ表記例があるくらいですから、あえてそういう

決まり事にしているのかもしれません。

 ということで結論は、鉄道各社は「完全ヘボン式」、道路標識は独自ルールを採用

しており、管理するところが異なれば表記ルールも異なるということで解決です。

でも管理するところが異なるとはいえ、公共性の高いモノですから統一すべきだと

思いますが。

 あ〜せっかく話がまとまりかけたのに、また

こんなもの(写真C)を発見してしまった。

これはまた「
」です。この「住居番号表示板」

は多分、市区町村で管理しているモノでしょう

から、道路標識(国道は国、都道府県道は都道

府県、市区町村道は市区町村が管理?)と同じ

表記になっても良いはずですが...

 そして最後に下のこの写真DEを。もう、

どうでも良くなってきました。まあ、もともと

どうでも良いと言えばどうでも良いことなん

ですけど...
 
C住居番号表示版

D都営バス新橋バス停

Eリムジンバス新橋バス停

 
 


2002年10月 7日  ウィルスメール


 あの〜、もういい加減にしてもらえませんか、ウィルス送ってくるの!ホームページ

に連絡先としてメールアドレスを載せているせいか、連日送られてきて多い日には10

通以上。全て対策ソフトが監視しているおかげで今のところ被害は無いのですが、ここ

数日、猛威を振るっているW32/Bugbear@MM(バグベアー)らしきものが、昨日は100

件以上も送られてきました。

 しかもここ数日のウィルスメールに対しては、最新の状態にアップデートしている

対策ソフトも、感染メールを修復してくれません。気になってアップデートしても、

「あなたのは最新版のためアップデートは必要ありません。」とのこと。おいおい!

じゃあ、ちゃんと働いてくれよ!まあ、怪しいメールは絶対開きませんので大丈夫だと

思っていますが、受信するたびにウィンドウが開いて真っ赤な警告メッセージが出る

ので気分が悪い。不正アクセスを監視しているファイヤーウォールも警告メッセージを

頻繁に出しているし...

 そう言えば、そろそろソフトの更新サービスが切れるので延長しなければ。確か

4000円だったような?と、考えていると、なんとまあタイミングの良いことに、

新製品のご案内メールを着信。5980円で優待アップグレード出来て、セキュリティー

が強化された最新版を手に入れることが出来るそうです。さらにご親切なことに郵送

でも案内が送られてきました。

 う〜ん、絶妙な価格設定。更新サービス延長か?アップグレードか?どちらにしても

ちゃんと機能してくれれば問題ないのですけど。
 
 


2002年 9月20日  WindowsXP


 とうとうWindowsXPにしました。今までのマシンは昨年の6月に購入した某メーカー製で

Windows2000でした。「XP優待アップグレード」なるものがあって、XP自体は入手して

いたのですが、Win95,98より遙かに安定していてフリーズすることもまず無いWin2000に

ほとんど不満が無かったので様子見の状態が続いていました。XPの評判はいまいちだったし、

まあアップグレードするとなると、ソフトや周辺機器の対応状況を調べて必要に応じて

ソフトのアップデータやドライバー類を手に入れたり、データファイルやメール関連の

バックアップを取るのが面倒で、今まで手を付けていませんでした。

 さて、手順についてですが、まずはデータファイルのバックアップです。約80GBの内蔵

ハードディスクをほとんど使っていたため、IEEE1394接続の外付けハードディスクに

移設。メール本文、アドレス帳、アカウント等もバックアップ。次にコンピュータ本体に付属

していたリカバリーディスクで購入当時の状態に戻してゴミを一掃。さあ、いよいよアップ

グレードです。マニュアルに従って順調に進めていたのですが、とうとう第1の暗礁に乗り

上げました。マニュアルに記載してあるCDロムが見当たらないのです。仕方がないので

数あるCDロムから一番近いと思われるモノで作業を進めました。(後日メールで問い

合わせたところマニュアルの誤記であることが判明し、推測で対応した方法で間違いあり

ませんでした。返信の中にあったURLをクリックして見てみると、その旨のことが記載

されたページがありました。でもアップグレード中は当然ネットに接続出来ないのだから、

郵送等で連絡して欲しいですね。)

 ようやくXPのインストールが完了しました。起動します。「おっ!随分ヴィジュアル

に凝ってるな!」というのが第一印象でした。そんなことより各種設定をしなければ。

まずネット環境の回復。ターミナルアダプターの説明書を読み直すと、XPについて全く

記述がありません。購入したときの外箱には「XP対応!」とシールが貼ってあったのに...

仕方がないので適当なドライバーを探して強引に接続しました。その後、メールの設定と

使用頻度の高いソフトをインストールして力尽きました。ここまで、作業開始してから半日

以上もかかってしまいました。結局いまだにスキャナーとプリンターは未接続のままです。

 さてさて、XPですが何か余計な機能にCPUやメモリの能力を取られているのか、表示の

仕方からか、以前より遅くなってしまった様な気がします。まあ評判通りでした。本屋に

行くとあるはあるはXP関連のマニュアル本。「XPカスタマイズ」「XPの裏技」みたいな

本だらけ。不満を感じているユーザーがたくさんいるのでしょうね。早速、パフォーマンス

重視ということでクラシック表示(従来の表示スタイル)に設定を変更したため、以前の

Windowsぽくなってしまいました。まだ私の知らないスーパー機能があるのかもしれませんが

現時点での結論は、半日かけてハードディスクを掃除したようなものでした。

 昨日、XPの不具合を改善する修正プログラムをまとめた「サービスパック1」の無償の

ダウンロードサービスが始まりました。このことをちょっと前に知っていたこともあり、

このたびアップグレードする気になった一つの理由だったのですが、ファイルの大きさは

なんと30MB。ISDNの環境ではダウンロードに何時間かかるのやら...とても

落とす気になれません。CDロムは1050円で送ってくれるそうですが、コンピュータ系

雑誌の付録とかで配布してくれると良いのですが...




2002年 9月 1日  夏の終わり


 相変わらず厳しい残暑が続いておりますが、日が暮れると心地よい風が流れ、虫の音が

聞こえる季節になってきました。見上げる夜空に白い雲が浮かんでいると秋の訪れを感じます。

あっという間に8月が過ぎ去り、「夏」が終わりました。

 特に何かを期待したわけでも、何か特別なことがあった訳ではありませんが、なんとなく

「ああ、夏が終わったな...」としみじみ感じてしまいます。

 よく「夏の思い出」「ひと夏の思い出」とかを耳にします。でも、他の季節に「思い出」を

結びつけることはあまり無いような気がします。「春の思い出」「ひと秋の思い出」「冬の

思い出」なんて、あんまり聞いたことがありません。何ででしょうか?

 さて、これからは「秋」に向かいます。春に芽吹き、夏に生い茂った木々の葉が、華やかな

紅葉になります。夏の間、小休止気味だった私の写真活動も再開というか、シーズンインという

感じです。今年はどこの紅葉を見に行こうかな?

 秋の写真を載せている GALLERY 艶 にも撮り貯めているモノから追加していきますので

ご期待下さい!




2002年 8月27日  通勤電車


 電車の走行音とエアコンの音以外ほとんど聞こえない朝の車中。こんなにたくさんの人が

乗っているのに。眠っている人。器用に折り畳んで新聞を読んでいる人。携帯メールに

勤しむ人。つり革につかまって遠くを見ている人。それぞれがほとんど音を立てずに過ぎて

いく時間。

全く見ず知らずの人と距離をおくことも出来ず、動物本来の「なわばり意識」をも削り取ら

れてしまう異常な空間を毎日、当然のごとく過ごしている。慣れてしまえばそれほど気になら

ないのかもしれない。いや、大多数の人は一刻も早くこの状況から解放されることを望んで

いる我慢の時間に違いない。

 この我慢が切れる瞬間。その1つは携帯電話の着信音。その瞬間、音源に向けて一斉に

矢のような視線が注がれる。「今、電車に乗ってるからかけ直す。」と小声で切ればまだ

しも、用件を1つ2つ話し出したらもう大変。「うるせえなぁ」「話すんだったら電車降り

ろよ」「非常識だなぁ電源切っとけよ」と無言の表情に現れる。睨み付ける人。露骨に迷惑

そうにする人。どこからともなく聞こえてくるため息。車掌さんが放送で繰り返し言って

いる「ご迷惑になりますので電車の中では携帯電話の電源をお切り下さい。」本当に電源を

切っている人って、どれくらいいるのだろうか?「電源を切っているときに電話がかかって

きたらどうしよう?留守電サービス入ってないし...」という人もたくさんいるだろう。

だいたい携帯電話のマナーについては社会問題にまでなっているのだから、いちいち入らな

ければならないような有料サービスを行っているドコモには甚だ疑問を感じる。auや

J−PHONEは無料なんだから。まあ仮に無料になったとしても個人のモラルによるモノ

だから、全ての人が電車の中で電源を切ることはないだろうが。

 また、たまたま乗り合わせた車中にヘッドホンからもれるシャカシャカ音。これも穏やか

ではない。先日このような状況で「朝からうるせんだよ!」と言っていきなりヘッドホンの

ケーブルを引っ張った光景を目にした。やっぱりヒトは音からストレスを感じることが多い

らしい。生活音でトラブった新聞記事も多い。音はどうしても聞こえてしまうから。

 あとは「足を踏んだ」とか「体が当たった」とか...我慢の極限状態で均衡が保たれて

いるから、ちょっとしたことでその糸が切れてしまう。普段ならそんな行動を決してしない

人までが。

 う〜ん、なんとか楽しくとは言わないまでも、平常心で過ごす方法はないだろうか?

そうだ!車中に音楽を流してみたらどうだろう?癒し系なんか流れていたらリラックス

できるのでは?でも音楽は好みが分かれるだろうから、1両目はJポップ、2両目は

クラシック、3両目は洋楽、4両目は演歌、5両目はハードロック、6両目は雅楽、

7両目はハワイアン、8両目は民謡、9両目はダンス系、10両目は童謡、11両目は...

キリがない。

それでは、人は大きな声を出すとストレスが発散されると言われているから、あえて静かに

していないで、朝からワイワイガヤガヤして良い専用車を用意してみたらどうだろうか?

知人と大きな声で騒いだり、初めて乗り合わせた人と会話を楽しむ。「出会い」も有るかも

しれない。これは楽しそうだ。でも話が盛り上がれば降りる駅で降りなくなるかもしれない

から、いつまでたっても電車が空かない。山手線だったら何周もしてしまうかも。

 ダメだ、名案が浮かばない。まだまだ我慢して電車に乗り続ける日々が続きそうだ。




2002年 7月17日  いのち


 今日、愛犬との別れがありました。不慮の事故とはいえ、3年と4ヶ月の短い命でした。

でも色々教えてくれました。命の尊さと命のあっけなさを。今を正直に大切に生きることを。

悲しんではいけない気がする。

 笑顔でさようなら、そして、ありがとう....




2002年 6月 2日  ロボット


 「ロボット」と聞くと何を思い出しますか?最近では「AIBO」やホンダの

「アシモ」が思い出されるのではないでしょうか?家電製品や自動車などの工場の

産業用ロボットを第一に思う方は、仕事や勉強のしすぎと思われますので、この

「雑感」で息抜きすることをお勧めします。アニメの世界に目を向ければ、世代に

よる差はあるでしょうが「鉄腕アトム」「鉄人28号」「ドラえもん」「マジンガーZ」

「ガンダム」などでしょうか?「ロボット」というと、これら正義の味方のヒーローや

友達感覚がイメージされると思いますが、どうやらこれは日本特有のモノらしいのです。

 アメリカのSF映画では、「マトリックス」や「ターミネーター」などコンピュータや

ロボットが反乱を起こして人間を攻撃するモノが多いと思いませんか?そもそもロボット

とは人間より早く仕事が出来たり、危険な作業などを行うために産まれたモノでしょう。

いわば人間のしもべとなって働かせられるわけです。それ故にロボット達が自我に目覚め

ると、人間に反抗するのではないかと考えられているようです。それに対して日本では

「ロボット」というモノが広く一般的に広く認識されることを担ったであろう、フレン

ドリーな「鉄腕アトム」のイメージは大きく影響しているのでしょう。

 話は変わりますが、「リアルドリーム ドラえもん プロジェクト」というものを

ご存じでしょうか?5月の上旬にお台場のビッグサイトで開かれた「おもちゃショー」

でバンダイが2010年までに本物の「ドラえもん」を開発することを発表しました。

と言っても「論理的思考型人工知能を搭載する自己進化型ロボット」で、残念ながら

四次元ポケットから夢の溢れるアイテムは出てこないようです。

 しかし、もしドラえもんのアイテムも実現したら楽しいでしょうね?「タケコプター」

で自由に空を飛んだり、「どこでもドア」で瞬時に行きたいところに行けたり。でも

ちょっと待てよ!これが実現したら、世の中が大変なことになるかもしれません。そこで

「どこでもドア」を例にして考察してみましょう。

 瞬時に行きたいところに行けるのですから、まず現在の運輸業界が不要になります。

通勤も旅行も乗り物に乗る必要が無くなります。またモノを輸送する物流も大きく変わり

ます。自動車、鉄道、航空、船舶関連、旅行、運送、エネルギー、保険業などは大打撃を

受けることは間違いありません。また地価も大暴落するでしょう。それによって今より

更に想像を絶する不況の波に全世界が飲み込まれます。

 また新たな法整備が必要になるでしょう。どこにでも勝手に扉が開かれては出会い

がしらの事故が絶えなくなるし、鍵をかけても無意味で中に入ることだって可能になる

のですから。そのような点からおそらく、どこでも勝手には使えなくなるでしょう。

街の決まった場所に「どこでもドアステーション」なるモノが出来て、利用者はそこから

行きたい「どこでもドアステーション」を選択するようになります。ただ観光地、繁華街、

オフィス街などは利用者が殺到するでしょうからドアの数を増やして対応しますが、相当

長い行列ができて「どこでもドア渋滞2キロ」とかになるかもしれません。

 う〜ん、こうして考えるとあんまりメリットが感じられないなあ....不況になるし。

そうそう株で一儲けしようと考えている方に内緒で儲け話を。「どらやき」屋さんの株は

狙い目ですよ。




2002年 4月23日  歩み


 カメラを手にしてもう何年たったのだろうか。家族で遊びに行ったときに父のカメラで

記念写真を撮りたがっていたのは小学校に入学した頃からかもしれない。借りるだけでは

物足りなくなって自分専用のカメラをねだったのは、それからそんなに時間が経っていな

かったように思う。最初のカメラは今ではまず見ることが無くなったカートリッジ状の

ポケットフィルムのカメラ。今で言えばAPSのようなもの。といってもそんなに

オシャレなモノではなかった。でも嬉しくて嬉しくて鉢植えの花や飼っていた犬などを

撮っていた。中学に入り、自分のカメラでは撮れないモノがあることを知った。遠くに

あるモノを大きく撮ってみたい、速く動くモノをキッチリ止めて写したい、もっと鮮明に

写したい。必然的に一眼レフに憧れた。ずっと貯めていたお年玉で一眼レフを買った。

このときのワクワクした気持ちは今も鮮明に覚えている。毎日毎日、学校から帰っては

カメラをいじった。中学生の小遣いではフィルムもろくに買えなかったので、フィルムを

入れないままファインダーを覗いてシャッターを切っていた。でもそれで楽しかった。

たまに買うフィルムは当然、白黒。相当な気合いがないとカラーフィルムは買えなかった。

失敗は許されないから、写真関係の本は解らないながら必死で読んだ。空が夕焼けに染ま

ると空が開けている所を探して自転車をこいだ。勝手に近所の高い建物の屋上に上がったり

もしていた。夏休みは「青春18キップ」。1万円で5日間、鈍行列車は乗り放題の夢の

キップ。自動車免許を取ってからは、トランクの中には必ずカメラバック。関東近県走り

まくり、風光明媚な場所で写真を撮った。そしてある時、気がついた。よく写っている

一つのモノがあることに。それが「富士山」だった。それまでは何の気なしに写って

いた富士山を積極的に撮ってみようと思った。それから現在に至る。

 このたび、新しいギャラリーを追加致しました。その名も「GALLERY 歩」。風景写真を

本格的に撮り始める前の写真を掲載し、私の写真史を整理していこうと考えております。




2002年 4月15日  やっと常時接続


 ようやく電話代を気にせず、一日中繋ぎっぱなしでインターネットを楽しめる定額の

常時接続になりました。でもADSLでもケーブルテレビ、光ファイバーでもありません。

今さら「フレッツISDN」です。

「なんで今さら?」という声が聞こえてきそうですが、私も今になってターミナルアダ

プターを買ってISDNにするとは夢にも思いませんでした。以前、この雑感にも書き

ましたが、結局ADSLは上手くいかず、ケーブルもファイバーの環境もないので、

定額常時接続するためにやむなくフレッツISDNになったのです。

いやぁ〜それにしても時間がかかりました。本当に疲れました。「常時接続への道」と

題して、これまでの経緯(やりとりしたメール等が残っている)をご報告致しますので、

ADSLを検討している方は参考にしてみて下さい。

(私が契約したプランはインターネット接続を提供するプロバイダーと、ADSLの

回線を提供するキャリアが別会社の「ホールセール型」と言われているモノです。)


・01/11/24 ADSL申し込み

・01/12/ 1 電話回線が既に光ファイバー化しているためNGの連絡。

・01/12/ 5 光ファイバーをメタル回線に戻す(光収容替え)工事を依頼。

・01/12/20 光収容替え工事が可能で、02/ 1/ 9に開通と連絡有り。

・02/ 1/ 9 開通日になっても接続出来ず。おかしいなぁ...?

・02/ 1/12 プロバイダーに確認するが、調査中とのこと。

・02/ 1/25 調査中のまま何の連絡も無いので再度確認すると、何と工事日が1/8から
      1/30に変更になったとのこと。そんなこと全く連絡無し。いったい、どう
      なってんだろ?

・02/ 1/30 やっぱり接続出来ず。再度プロバイダーに連絡。

・02/ 2/ 4 回線キャリアから「回線の調整中」との連絡有り。

・02/ 2/14 再度、回線キャリアに確認。また「調整中のためもう少し待って欲しい」と。
      いつまで待たせるんだ!

・02/ 2/22 もう我慢限界!また確認すると相変わらず「回線調整中」と。怒るという
      よりなんか呆れてしまった。「もういいですから」と言うと、「調整して
      ADSLが 出来なかった場合は今までかかった費用は不要なのですが、今
      解約すると返せません」と。これって脅し?

・02/ 3/10 回線キャリアから「もしかしたら貸与しているモデムに問題が有るかもしれ
      ないので新しいのと交換する」と連絡有り。もう諦めてよ!どうでもいいや!

・02/ 3/16 新しいモデムでトライするもやっぱりダメ。回線キャリアに連絡すると、
     「そうですか、両隣の方がISDNなので干渉が強すぎるみたいです。残念
      ですが、ADSLサービスは提供出来ません」と。やっと諦めてくれました。
      でも最後に「光収容替え工事費用はNTTの工事なのでお支払い下さい」と。

・02/ 3/22 フレッツISDN申し込み

・02/ 3/26 NTTから工事日の連絡有り。4月の第一週には開通とのこと。

・02/ 3/26 同日、再度NTTから連絡有り。私の電話回線がADSLのままになっている
      ためISDNの工事が出来ないと。慌ててプロバイダー経由、回線業者に解除
      依頼。

・02/ 4/ 2 NTTから工事&開通日の連絡。

・02/ 4/13 ようやく開通!!!


 とまあ、こんな感じです。思い立ってから4ヶ月以上もかかってしまいました。でも

今回の件でわかったことがあります。自分って結構、我慢強い方かも?     




2002年 4月 7日  桜


 例年では、そろそろ撮り納めになるというのに今年はあっという間に終わってしまいました。そう桜がです。

風景写真を本格的に撮るようになって四季の移り変わりには敏感になりました。冬場は富士山や凍てついた滝

などを撮影し、氷が溶け始めると梅が気になりだし、そして桜の開花予想をチェックするようになります。

今年はそれらが駆け足でやってきたため、十分な撮影地の検討が出来ず結局、しだれ桜で有名な秩父の

清雲寺でしか撮る機会がありませんでした。

被写体として見た場合、「桜」は私にとって難しい部類に入ります。というのは「運」が大きな鍵を握っているから

です。仕事がら週末しか撮影に出かけられないので、満開の時期と好天に恵まれる必要があります。ただ晴れ

たといっても、春先は気温が上がってしまい、冬場のような澄んだ青空はなかなか見ることが出来ません。白い

桜の花(イメージとしては薄いピンク色ですが、ソメイヨシノなどはほとんど白色)と、春霞でなんとなく白っぽい

空が同化してしまい鮮やかな雰囲気の写真になりにくいのです。というわけで、澄んだ青空バックの桜を撮影

する好条件は、ずばり「雨の日の翌日の晴れた午前中」がねらい目になります。

 関東地方の平野部ではすっかり終わってしまいましたが、例年ではそろそろ河口湖や山中湖の「桜と富士山」の

時期になります。しばらく富士山の撮影に出かけていないので桜の状態はわかりませんが、もしかしたら終わって

いるかも?



2002年 3月14日  色のこだわり


 現像の出来上がったときに重要視する要素の一つに「色」があります。実際に見た色、出来上がるまでに

理想化された分を差し引いても、想像していた色が出ていないことはよくあることです。

またGALLERYの写真をコンピュータに取り込む際も色に気を遣います。まずLLサイズのプリントをスキャナーの

オート設定で取り込みます。その後レタッチソフトで一緒に取り込んでしまったほこり等を除去します。次に原版を

見ながら明度、色調、彩度、コントラストを調整しながら色合わせをしていくのですが、アナログをデジタルデータに

変換する際に微妙な色合いが失われてしまい、オリジナルを再現することはかなり難しいのです。

そして最後に画像のサイズ合わせをして完成です。

最後の「色」問題はモニターに表示される色です。私のHPが自宅のCRTで表示される色と、他のモニター

(特に液晶モニター)で表示される色が全然違うのです。モニターの設定(特にガンマ値かな?)に起因すること

なので、私のHPを見ている方の全てのモニター設定を、私がどうにか出来るモノではないので仕方ありませんが。

さらにプリンターで印刷すると色が違ったり、悩みは尽きません。

 さて、ホームページを開設して3ヶ月目に入りました。最初はそれなりに満足していたのですが、時間が経過

するに連れ不満なところが出てきています。特にGALLERYの写真の質が気になっていたので、3月の初めに

ほとんど全部入れ替えました。更新履歴にも書かなかったので、気が付いた方はいらっしゃいますか?



2002年 3月 7日  コンビニにて


 先日、コンビニで500円ちょうどの買い物をして、レジで1000円札を店員さんに渡したときの出来事。少々間が

あって彼から一言。「1000円からでよろしいでしょうか?」

私も一言。「ええ」

ちょっと待てよ、おかしくない?この会話。だってお釣りは500円玉か100円玉5枚しかありえないでしょ!彼は

もしかしたら私が更に1000円札を出して1500円のお釣りを渡す可能性があるとでも思ったのでしょうか?

またファミレスで生ビールを頼んだとき、「ビールはいつお持ちしましょうか?」これもおかしい。でも食後に飲む

人もゼロではないかもしれない。

大手チェーン店などでは接客品質が全ての店舗で同質になるために、しっかりとした「接客マニュアル」なる

ものがあると思います。多分その柱は「全てのお客様に失礼がないこと」でしょうが、それ以前の常識の問題で

しょう、これは。

 ただ私が出会ったこのような出来事に対して何の違和感も感じない人もいるでしょう。何が普通で何が普通では

ないのか、私が感じたことは普通なのか普通ではないのか、最近わかりにくいことが多くなったような気がします。



2002年 3月 2日  F1開幕


 待ちに待った2002年のF1が開幕しました。今年は満を持してトヨタが参戦、また3年ぶりの日本人ドライバー、

佐藤琢磨がジョーダン・ホンダからデビューします。さらに今年は、ウィリアムズBMW、マクラーレン・メルセデス、

ルノー、BARホンダなどのチームの実力や信頼性が上がってきているようなので、2年連続チャンピオンのミハエル・

シューマッハを擁するフェラーリの優位性も昨年ほど無く、混戦が予想されるということもあり、例年以上に盛り

上がっています。

ただ速く走るために、現在考えられる究極のテクノロジーから生み出されたF1マシンは機能美の結晶であり、

それはまさに芸術品。そしてそれらを自分の支配下において操るドライバーたちの極限のドライヴィングテクニックが

ぶつかり合う熾烈な戦い。

私の忘れられないレースの一つに1988年10月30日の日本GPがあります。年間16戦中の15戦目となるこの

GPは、マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとアラン・プロストが同じチーム内でチャンピオン争いをしていた非常に

重要なレース。優勝すれば年間タイトルを手中にするセナは予選を1位で通過し、圧倒的有利。しかし決勝でスタート

を失敗し8位に後退。もはや優勝は絶望的と思われる中、猛追を続け20週目には2位に浮上。そして28週目の

1コーナー手前で最強のチームメイトのプロストを抜き遂にトップ。そのまま51週目にチェッカーフラッグを受け優勝

して初のワールドチャンピオンに。

このレースでスタートを失敗したドライバーがもう一人いました。日本人初のF1ドライバー中嶋悟です。一度止まり

かけたエンジンが何とか動き始め結果は7位完走。レース後のインタビューで「誰かが後ろから押してくれた気が

する」と。彼はこのレースの前に母親を亡くしていました。

 今年の開幕戦はオーストラリアのメルボルン。注目の予選の結果はポールポジションがルーベンス・バリチェロ、

2位がミハエル・シューマッハでフロントローはフェラーリが独占。トヨタは予選14位と16位、佐藤琢磨は最下位の

22位。決勝での日本勢の追い上げに期待です。決勝はフジテレビ系で3月3日13時から放送されます。



2002年 2月18日  買い物の達人


 私は衝動買いをしません。そうは言っても衝動的に購買意欲を掻き立てられることは、しばしばありますが、

その時すぐに買うことはありません。なぜなら私は「スペックマニア」だからです。

買いたいモノがある場合、まずその商品についてじっくり調べます。カタログを手に入れたり、その商品のことが

書いてある記事を読み漁ります。また当然ながらライバル視されている商品の情報も集めます。特にカタログに

記載されているスペック(性能)を非常に重要視します。

車だったら、エンジンの性能曲線図、馬力、トルク、車重、ギヤ比、ボディーサイズ、燃費、標準装着仕様、

オプションの種類など。コンピュータなら、CPUのクロック数、メモリ、ビデオカード、ハードディスク、拡張性など。

モデルサイクルの早いコンピュータなどの場合、検討しているうちに次のモデルが発売されてしまうこともあります。

私自身がその商品の全能力を使いきれる実力を持っていないことが多いのですが、カタログがボロボロになる

くらい検討に検討を重ねてようやく購入に踏み切ります。ところが実際に使ってみて100パーセント満足することは

あまりないのです。なぜならカタログの数値に表れない部分で不満を感じることが多いからです。

友人の一人に私とは全く反対の買い方をする人がいます。欲しいと思ったらいきなり買ってしまいます。当然、

使用して不満に感じることがあるそうです。でも彼は言います。

 「よく考えて買ったわけではないから不満に思うことがあるのは仕方が無いことだ。でもそれ以上に想像もして

 いなかった機能があったりすると楽しいモノだ。」と。

彼のようなタイプの人が「買い物の達人」に近いのかもしれません。



2002年 2月15日  確か昔は「ビールス」って言ってた


 とうとうやられました、ウィルスに。頻繁にニュースなどで大きく騒がれ、存在は十分に知っていたのですが、

特に何の対策もしていなかったので当然と言えば当然の結果です。数日前からなんとなく不安定で「おかしい

な?」と思ってはいたのですが、ついに起動出来なくなり、仮に運良く起動しても、すぐにフリーズしてダウン。

もはや自力で解決することは不可能と判断し、専門家に診てもらうことに。診断結果はそうです、

「インフルエンザ」でした。

「なんとなく・・・」の自覚症状から翌日の深夜には、激しい悪寒で体温計は39度を突破。「病院嫌い」とか

言ってる余裕はゼロ。翌朝、10年以上ぶりに内科へ。連休明けで、異常な混雑。重病人ということでVIP

待遇(?)の簡易ベッドで診察を待つことに。結局、病院に入ってから薬を受け取るまでのトータル時間は

約2時間半。どうなってんだか....

さあ、薬を飲んで一安心となるところですが、なかなか効果は現れず。熱はちっとも下がらず、激しい頭痛と

体中が痛くて眠ることも出来ない。遠くに聞こえる「医療費3割負担」のテレビニュース。気持ちは「わかった、

いくらでも良いから早くなんとかして(治して)!」その日の深夜にはとうとう40度突破。体力はかなり前から

弱っているのですが、この頃になると精神力も相当凹んできます。

そして昨日、4日間寝込んでようやく微熱程度に落ち着き、何とか復活出来ました。しかし相変わらず大量

発信型ウィルスキャリアの私はまだ、あまり出歩かない方が良いのでしょうが、今週末は厳冬期の富士山撮影の

ラストチャンスです。間に合ってラッキー?
 


2002年 2月11日  日本語変換ソフト


 先日JUSTSYSTEMから「一太郎12」と、それに伴い「ATOK15」がリリースされました。この日本語変換ソフト

「ATOK15」の新機能の一つに気になるモノがあります。それは「関西弁対応」。

そもそも文章を作成するときに、話し言葉を書いて変換することはあるのでしょうか?関西弁で入力したら

標準語に変換する機能なのでしょうか?まあそんな疑問を抱きながらホームページを見てみました。

主な用途はチャットやメールなどの話し言葉を文章化するときだそうで、例えば「こうてきた」を「買うてきた」、

「いかへん」を「行かへん」と変換してくれるそうです。この機能は関西の方で、チャットを楽しんでいるときなどは、

かなり有効なのかもしれませんね。

それならば、上にも書いたように関西弁を標準語に変換したり、その逆に標準語を関西弁に変換できたりする

ような遊び心があると、もっと楽しめると思うのですが。
 


 2002年 2月 3日  富士山撮影記


 富士山の写真を撮っていると「わがまま」になります。撮り始めた頃は、とにかく快晴で抜けるような青空で撮り

たいのですが、そのうちにそれでは満足出来なくなり「気象」の演出を望むようになります。

その共演に欠かせないものの一つに「雲」があります。雲は天候の変わり目に出ることが多いので、天気が崩れる

ときや、回復するときは絶好の撮影チャンスになります。

というわけで富士山を撮りに行くときに重視するのは、数日前からの天気の変化と今後の天気予報です。

雪が積もった茅葺き屋根と霧氷で人気の撮影地「忍野」。2月2日の天気予報は午前6時は「晴れ」、気温は−9℃。

午前9時は「曇り」、昼過ぎから「雪」ということで、今回のテーマは「霧氷と朝焼けの富士」にイメージを膨らませて

家を出ました。

午前2時過ぎに現地に着くと、気温は−10℃。桂川からは水温と外気温の差から川霧が湧き上がり、夜空には

月に照らされた富士山を見ることが出来ました。三脚で場所を確保(信じられないかもしれませんが、この時期の

土日の朝は異常に混む)して車中で仮眠。午前5時過ぎ、富士には形の良い笠雲がかかっていました。

暗闇の中、慌てて撮影開始。既に川沿いには三脚が林立し身動きが取れないほどの混雑。

日の出が近づくとともに徐々に笠が大きくなり、東の空には「吊し雲もどき」まで現れましたが、場所の関係で

富士山と同一フレーミングは不可能。そして肝心の朝焼けも大したことはなかったのですが、「笠雲」はそれ以上の

収穫でした。

空を大きくフレーミングしたかったので、その後すぐに山中湖の長池地区に移動。山中湖一面はほとんど凍って

いました。笠雲はさらに大きさを増していますが、空の色が青くならず灰色のままで、今ひとつ「絵にならない」状況。

残念なことに「吊し雲もどき」も消えてしまいました。風向きの関係からか、空のあらゆる所で雲が発生して流れて

いたのにもかかわらず、何故か富士山には近づかず、そのうち青空が見えてきました。

曇りの予報も見事に外れて、結局12時過ぎまで富士山と笠雲を楽しむことが出来ました。何度か笠雲を見たことが

ありますが、ここまで大きく立派なモノはなかなか見ることが出来ないと思います。デジカメでも撮りましたので、

貼っておきます。

今回は幸運でしたが、「読み」と天気予報が悪い方に外れ、一枚も撮らずに帰ることも当然あります。結局、使用

したフィルムは合計9本、現像の仕上がりが非常に楽しみです。

近いうちにGALLERYにも載せますので、お楽しみに。
Camera : Nikon COOLPIX 950
露出 : F7.4 AE(1/793秒相当)
補正 : -1.0EV
ISO : 80相当
撮影日 : 2002年2月2日 午前11時9分
撮影地 山梨県南都留郡山中湖村長池
富士山と対峙する
愛機 Mamiya RZ


 2002年 1月29日  「写真」の使命


 自分が見たありのまま(の真実)を写すということから、漢字で「写真」と表すのであろうが、ただ単に真実だけを

写しているわけではないと思う。

撮影者が感じた時空間を撮ったのであるから当然彼の意志や願いが入っている。

ある写真家が雑誌で「写心」と表現していたが、まさに撮影者の心を写しているにほかならない。

フィルムに自分が見た光景を焼き付けることは、その瞬間に、その場所に居たという事実であり、仮にその写真が

後世に残れば、それは撮影者が生きていた証でもある。

生物が子孫を残そうとする本能には、自分の遺伝子が後世に受け継がれていくことで、自分が存在していたことを

伝えるという意図も含まれているのかもしれない。

 つまり写真を撮るということは、悠久の時の流れの中から一瞬を切り取ることであり、更にその切り取った一瞬に

永遠の命を吹き込む行為なのではなかろうか。


 2002年 1月21日  警察手帳


 本物の警察手帳を見たことがある方ってどの位いるのでしょうか?

よく刑事ドラマでアパートの扉を少し開けて、胸のポケットからおもむろに出して、「こういう者ですが、ちょっと

よろしいですか?」っていうあのシーンで使われる手帳です。

残念ながら(?)私は一度もそういうシーンに出会したことがありません。そもそも本物のデカに会ったことも

ありません。

仮にそのような状況で、胸ポケットからいきなり出されても、私は信用出来ないと思います。

また手帳というからには、当然スケジュールやメモ等を書き留めてあると思うのですが、あんな小さな手帳だと

すぐに白紙のページが無くなってしまうはずです。人によっては胸ポケットに手帳を2,3冊入れているのでしょうか?

 先日、今秋から導入される新しい警察手帳の記事がありました。縦開きで顔写真入りの身分証明書タイプ。

手帳といいながら、定期券入れの様なスタイルなので、メモ書きする手帳本来の機能は無いように見えます。

警察庁は従来のモノでは身分証の記載が確認しにくいことから変更したそうです。

 私のように感じていた方は案外多かったのかもしれませんね。


 2002年 1月13日  一本の木


 一年のうちに何度も足を運ぶお気に入りの撮影地の脇に、ある一本の木があります。

春は黄緑色の若葉が優しく、夏は濃緑色の葉が生い茂り、秋は黄色で彩り、冬は枝だけで寒風に耐えています。

そんな繰り返される光景をここ数年間見てきました。初めのうちは特に意識もすることなく何気なく見ていたと

思うのですが、いつの頃からかとても気になる存在になりました。

「今年はもう新芽が出てる。」「昨年より紅葉が鮮やかだなあ」という感じで。

植物ですから一日中見ていても動くことはないのですが、目には見えないスピードで少しずつ姿を変えながら

生きているのです。


 無機質な街で仕事や生活に追われて暮らしていると、なかなか自分が「生きている」という実感はありません。

自分が日々変わっているという実感も当然ないでしょう。

でも自分と同じ生物である生きている木の変化に何度も見て付き合っているということで、自分を木に照らして

「俺も生きてるんだなぁ」と感じられるのです。

そんな相対的でしか「生きている」ということを感じることが出来ないのは悲しいことかもしれませんが、感じる

ことすら出来ない世の中よりましでしょう。


 あの木は今年もきれいな新緑を見せてくれることでしょう。


 2002年 1月10日  ADSL


 昨日、待望のADSLの局内工事が完了しました。

昨年の11月末に申し込みをして、1週間後のADSLの適合検査の結果はNG。理由は我が家の近くの電話線が

従来のメタル回線から光ファイバーになっていたからでした。ただ従来のメタル回線に戻すことも出来るらしいので

依頼したところ、工事可能かを判断する適合検査があり、数日後にOKとの連絡がありました。

「ただしユーザーの環境により、工事をしても利用出来ない場合がありますが、その場合でも工事費用は負担して

頂きます。」という注意書きがありましたが。

そして昨日、最初の申し込みから一月半経ってようやく家のモジュラージャックがブロードバンドの入り口になったの

でした。あとは電話線とモデム、LANでコンピュータと接続し電源を入れていよいよ開通!

と、なるはずでしたがダメです、繋がりません。モデムの設定も間違いないし、ケーブル類も問題なく接続しています。

う〜ん、これはまだ回線に問題があるとしか考えられません。

説明書を読むと、宅内の環境にもかなり色々条件があり、例えばドアホンが同じ電話線を使っていたり、ガス

メーターに自動検針装置が付いている場合はダメらしいです。こんなに様々な開通条件をクリアしなければならず、

更に実際にやってみないとわからないなんて・・・・・

 まだしばらくはダイアルアップする日々が続きそうです。


 2002年 1月 8日  更新


 オープンして3日です。アクセスカウンターの数字は50(※注:私は最低20回は見ていると思う)を越えました。

見にきて頂きましてありがとうございます。

このカウンター数だと、一人で何度も見にきている方もいらっしゃるのではないのでしょうか?

その理由は、

 1.一度に写真全部を見ることが出来なかったから。

 2.どうも気になる写真があったのでもう一度見にきた。

 3.そろそろ何か変わって(更新)されてないかな?  というようなところでしょうか?

理由1と2の方は、どうぞゆっくりご覧になって下さい。3の方、期待を裏切らないよう頑張って更新していきます

ので定期的に見に来て下さいね。では。


 2002年 1月 5日  ごあいさつ


 写真を撮り始めた頃は、旅先で出会った景色を思い出に持ち帰るといったごく普通の楽しみ方でしたが、

いつの頃からか美しい景色を求めて写真を撮りに出かけるようになりました。

そして友人や知人に出来上がった写真を見せたり、お気に入りは額に入れて飾ったり、個人的に楽しんでいた

のですが、私が今まで見てきた美しい自然を独り占めせずにみなさんと共有しようと思い、このたびホームページで

公開することにしました。(友人たちの強い勧めもありましたが)


私の部屋はネガやポジ(スライドフィルム)で溢れ、今回アップした写真以外にも多数有りますので、整理が

ついたモノからお見せしていこうと考えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 ホームページ作成にあたり色々とアドバイスして頂きましたF君、M君(50音順)には心から御礼を申し上げます。